名古屋高等裁判所 平成10年(ネ)363号 判決 1998年9月29日
主文
一 原判決を次のとおり変更する。
二 被控訴人らは、株式会社甲野組に対し、連帯して一九六〇万九四〇八円及びこれに対する平成二年七月三一日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
三 控訴人のその余の請求をいずれも棄却する。
四 訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを五分し、その四を被控訴人らの負担とし、その一を控訴人の負担とする。
理由
【事実及び理由】
第一 控訴の趣旨
一 原判決を取り消す。
二 被控訴人らは、株式会社甲野組(以下「甲野組」という。)に対し、連帯して二五〇〇万円及びこれに対する平成二年七月三一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 訴訟費用は、第一、二審を通じて被控訴人らの負担とする。
第二 事案の概要
一 本件は、甲野組の株主である控訴人が、甲野組の取締役である被控訴人らに対し、甲野組の前代表者亡甲野太郎の退職慰労金名目で違法に金銭の支払を受けたとして、株主代表訴訟により、商法二六六条一項五号に基づく被控訴人らの甲野組に対する損害賠償責任を追及している事案である。
二 争いのない事実
1 甲野組は、建築工事等を営む会社である。
2 控訴人は、甲野組の株主であり、被控訴人らは、いずれも甲野組の取締役である。なお、甲野組の取締役は、被控訴人ら三名のみであり、被控訴人甲野一郎(以下「被控訴人一郎」という。)が代表取締役である。
3 甲野太郎は、甲野組の代表取締役であったが、平成元年一一月一〇日死亡した。控訴人は、甲野太郎の妻であり、被控訴人らは、いずれも甲野太郎の子である。
4 被控訴人らは、平成元年一二月一〇日ころ、取締役会を開催し、甲野太郎の退職慰労金支払額を二五〇〇万円とし、右金額について、甲野太郎の相続人である被控訴人一郎に九〇〇万円、被控訴人甲野二郎(以下「被控訴人二郎」という。)及び被控訴人甲野三郎(以下「被控訴人三郎」という。)に各八〇〇万円をそれぞれ支払う旨を決議した。被控訴人らは、右決議に基づき、甲野組から右金額の支払を受けた。
5 甲野組の定款では、役員の退職慰労金は株主総会の決議をもって定める旨規定されているが、役員の死亡に伴う退職慰労金の規定はない。
6 被控訴人らは、甲野組から、被控訴人一郎が九〇〇万円、被控訴人二郎及び被控訴人三郎が各八〇〇万円をそれぞれ借り入れ、これでもって右4による返還債務を弁済したとし、甲野組ではその旨の経理処理(以下「本件返済処理」という。) を行った。
7 被控訴人らは、その後、本件返済処理によって発生した借入金について、平成九年八月以後、毎月元利金を分割返済しており、返済総額は、被控訴人一郎が一九四万〇六一六円、被控訴人二郎及び被控訴人三郎が各一七二万四九八八円となっている。
8 甲野組は、控訴人の請求にかかわらず、被控訴人らの責任を追及する訴えを右請求書面の到達した日から三〇日以内に提起しなかった。
三 控訴人の主張
1 商法及び定款の定めにより、取締役会の決議のみによって役員の退職慰労金を支給することはできないから、被控訴人らの退職慰労金名目での受給は、商法及び定款に違反する行為である。したがって、被控訴人らは、商法二六六条一項五号に従い、これによって甲野組が被った損害を賠償すべき責任がある。
2 被控訴人らは、本件訴訟提起後に、本件返済処理を行ったというが、これは不法行為による損害賠償債務が貸金債務に振り替わっただけであり、現実に金銭が返還されていないから、損害が填補されたことにはならず、これによって被控訴人らの責任が消滅することはない。
仮に、本件返済処理によって、被控訴人らの責任が消滅するものとすると、違法行為をした取締役は、会社との間で、損害賠償額と同額の貸付と分割返済の合意をとりつけることが容易にできるから、そのような操作をすることによって、株主代表訴訟の敗訴を免れることができることになり、株主代表訴訟の立法趣旨に反することになる。
3 被控訴人らは、本件返済処理によって生じた甲野組からの借入金を分割して返済しているが、役員報酬を大幅に値上げしてその中から返済しているにすぎないから、甲野組の資金が巡回しているだけであって、これによって甲野組の損害が填補されたとはいえない。
四 被控訴人らの主張
1 死亡役員の退職慰労金については、取締役会の決議だけで決定することができると解すべきである。
2 仮に、被控訴人らが株主総会の決議を経ないで退職慰労金の支払いを受けたことが、商法又は定款に違反するとしても、被控訴人らは、甲野組の発行株式の三分の二を超える株式を保有しているので、実質的には株主総会の決議を経たのと同様である。控訴人は、閉鎖会社である甲野組においては株主総会が開催されていないことをこれまで容認し、自らも株主総会の決議を経ないで監査役に就任しながら、形式的不備をついて本件訴訟を提起しているのであり、控訴人の本訴請求は、甲野組の経営に混乱を与え、自己の株式を高く買い取らせることを目的としたものであり、株主代表訴訟の趣旨目的に反し、権利の濫用であって、許されない。
3 本件返済処理は、単なる見せかけだけの処理ではなく、甲野組は取締役会の決議を得て、被控訴人らに前記貸付をしたもので、これは甲野組の決算書に記載され、被控訴人らは現実に毎月分割返済をしているものであるから、本件返済処理によって、甲野組の損害は填補され、被控訴人らの責任は消滅したものである。控訴人は、被控訴人らが自己資金により又は外部から借入をして、現金を甲野組に返済しなければならないと主張するが、被控訴人らが銀行から借入をして甲野組に一括返済し、改めて甲野組から借入をして、それでもって銀行に返済する方法と、実質的には同じであり、全く無意味なことを要求する論理である。
五 本件の争点は、次のとおりである。
1 被控訴人らの退職慰労金名目での受給は、商法又は定款に違反する行為か。
2 本件請求が権利の濫用といえるか。
3 本件返済処理によって、甲野組の損害が填補され、被控訴人らの責任が消滅するか。
第三 当裁判所の判断
一 被控訴人らの退職慰労金名目での受給が、商法又は定款に違反するかどうかについて判断する。
甲野組の定款では、役員の退職慰労金は株主総会の決議をもって定める旨規定されていることは争いがないが、商法二六九条の趣旨に照らして、右規定は死亡役員の退職慰労金についても準用されると解するのが相当である。被控訴人らの退職慰労金名目での受給は、株主総会の決議を経ないでなされたものであるから、定款に違反した行為であり、被控訴人らは、商法二六六条一項五号により、甲野組に対し、連帯して受給した金額を返還すべき責任を負わなければならない。
ところで、被控訴人らが甲野組から実際に右支払いを受けた年月日は、本件全証拠によっても明確ではない。しかし、右支給を決議した取締役会開催日である平成元年一二月一〇日ころからそれほど経過しないうちに実行されるのが通常であること、甲一二号証によれば、右支払いは被控訴人らが納付する相続税の支払いのためにされたことが認められるが、当時の相続税の申告期限は、相続の開始があったことを知った日の翌日から六か月以内であり(平成四年法律第一六号による改正前の相続税法二七条一項)、甲野太郎の死亡日が平成元年一一月一〇日であることを考えると、遅くとも平成二年七月三〇日までには、被控訴人らに対する支払いがなされたことが明らかである。したがって、被控訴人らは、右金員に対する平成二年七月三一日以後の遅延損害金も支払う義務がある。
二 本件請求が権利の濫用といえるかどうかについて判断する。
被控訴人らは、甲野組の発行株式の三分の二を超える株式を保有しているので、本件退職慰労金の支給については、実質的には株主総会の決議を経たのと同様である旨主張するが、仮に株主総会が適式に開催されれば、被控訴人らに退職慰労金を支給する旨の決議をなされることが確実であるとしても、だからといって前記定款に違背する措置が適法になるわけではないから、その責任を追及する本件請求が権利の濫用になるわけではないし、その他控訴人が不当な目的をもって本件訴訟を提起したことを認めるに足りる証拠はない。
三 本件返済処理によって被控訴人らの責任が消滅するかどうかについて判断する。
1 《証拠略》によれば、甲野組は平成九年五月三一日に開催した取締役会において、被控訴人らが甲野組から支給された退職慰労金と同額を被控訴人らに貸付ける旨の決議し、被控訴人らはこれに基づいて借入れた金員を損害賠償債務の返済に充てたが、その借入利息は年三パーセント、元金は平成九年八月から平成一四年七月までの六〇回にわたって、毎月の役員報酬から分割返済するという約定であったことが認められる(本件返済処理)。
したがって、形式的にみれば、本件返済処理によって被控訴人らの損害賠償債務は完済されたということができる。しかし、被控訴人らは、退職慰労金名目で支払を受けた金員を甲野組に返還すべき義務があるところ、これは右支払いによって失われた甲野組の資産を速やかに回復させるべき義務である。しかるに、本件返済処理においては、甲野組は返還を受けると同時に、同額を被控訴人らに貸金名目で交付したことになるから、損害賠償債権が貸金債権に変わっただけであって、甲野組の資産には実質的には何の変動もなく、失われた甲野組の資産が回復されたとはいえない。被控訴人らは、本件返済処理は、被控訴人らが銀行から借入をして甲野組に一括返済し、改めて甲野組から借入をして、それでもって銀行に返済する方法と実質的には同じである旨主張するが、右方法による処理も、一括返済と甲野組からの借入が同時になされた場合には、同様に甲野組の資産には何の変動もなく、損害の回復に期限の猶予を与えたにとどまり、失われた甲野組の資産が回復されたとはいえないといわざるをえない。
翻って、仮に、本件返済処理によって被控訴人らの責任が消滅すると解するとすれば、甲野組のような同族会社の場合は、このような処理をすることが比較的容易であるから、少数株主は、株主代表訴訟を提起しても、実質的には取締役の違法行為の責任を追及できず、株主代表訴訟が機能しなくなるという不都合が生じることになる。
したがって、本件返済処理によっても被控訴人らの責任は消滅しないと解すべきである。
2 次に、被控訴人らが貸金返済名目で、毎月支払いをしている限度において、被控訴人らの損害賠償責任が消滅したといえるかどうかについて検討する。
《証拠略》によれば、被控訴人らは、前記借入金に対する毎月の返済額を百五銀行一身田支店にある甲野組の当座預金口座に入金していることが認められる。したがって、入金された金額の限度において、失われた甲野組の資産が回復されたといえるから、右限度において被控訴人らの損害賠償責任が消滅することになる。
これに対し、控訴人は、被控訴人らの役員報酬を大幅に値上げしてその中から返済しているにすぎないから、右返済金額について損害の填補があったとはいえない旨主張している。しかし、役員報酬として被控訴人らに支払われた金銭は、被控訴人ら個人の資産になるから、そこから甲野組に対して返済された場合、被控訴人らの個人資産が甲野組に移動することになり、甲野組の資金が内部で巡回しているにすぎないとはいえない。したがって、役員報酬を大幅に値上げすることの当否は別にしても、控訴人の右主張は採用できない。
3 これまでの返済総額は、被控訴人一郎が一九四万〇六一六円、被控訴人二郎及び被控訴人三郎が各一七二万四九八八円の合計五三九万〇五九二円であることは前記のとおり当事者間に争いがない。また、本件返済処理がなされた際に、甲野組は被控訴人らから、一切の遅延損害金を徴収していないから、甲野組と被控訴人らとの間においては、右金額を損害賠償債権の元本に充当する旨の合意があるものと認められる。したがって、被控訴人らは、連帯して二五〇〇万円から五三九万〇五九二円を差し引いた一九六〇万九四〇八円及びこれに対する平成二年七月三一日から支払済みまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を甲野組に対して支払う義務があることになる。
四 以上に判断したところによれば、控訴人の本件請求は、被控訴人らが連帯して一九六〇万九四〇八円及びこれに対する平成二年七月三一日から支払済まで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で正当であるが、その余の請求はいずれも理由がない。
五 よって、これと一部異なる原判決を変更して、控訴人の請求を右限度で認容し、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 宮本 増 裁判官 野田弘明 裁判官 永野圧彦)